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2
 
開港記念館を過ぎ、元町方面に少し走ると左手にコインパーキングがある。
左のウインカーを出すのとほぼ同時に左折し、
徐行しながら空いているスペースを見つけて手際良くクルマを入れた。
9時を過ぎていよいよ雨脚が強くなってきているような気がした。
横断歩道を渡り、クルマで来た方と反対方向に歩道を歩いた。
走り去るクルマの跳ね上げる水しぶきをかわしながら、開港記念館の手前を左に曲がり、
一つ目の角をさらに右に曲がってメイン通りの一本裏手の道を少し歩く。
辺りの暗さが余計にひき立たせる『バー・レインマン』の看板の小さなネオン。
その横の、下り階段を降りる。
雨が階段に吹き込み、下のポインセチアの鉢に、
土が流れそうな小さな水溜まりを作っていた。
ドアを開けた。わざと古くさく見えるようなアンティークな茶色のイメージ。
左手に広がる店に客はまばらだった。
カウンターに馴染みらしい初老の紳士、男どおし3人が手前のテーブルに、
奥のテーブルには、一組のカップルがいた。
女が、自分の頼んだカクテルの味見をさせるように男に差し出した。
男は嬉しそうに少し口をつけ、GOOD!のサインを出すように、右手の親指を立てて笑った。
その初々しい幸せを誇示するようなその光景と、
正面のカウンターでシェーカーを振る和幸とを交互に見た。
幸せの絶頂にいる者、恐らく生きてきた間で最も不幸になる瞬間を間もなく迎える者。
同じ空間の中に、両極端の人間がいる。
バーという、雑多な人間の集まる場所なら当然のこの光景が、
今日の川口には不思議に見えた。
カウンターの客とグラスを磨きながら話す和幸の笑顔が空しく見えた。
和幸は川口を見つけて手招きし、カウンターを指差した。
川口は、ゆっくりカウンターに向かって歩きながら、これからはじまる話を思った。
愉快な話じゃない。それなのに和幸は、満面に笑みを浮かべて川口に言った。
「ここで飲んで待っててよ。」
「おや、ご身内の方ですかな?マスター」
初老の男が、川口の方をちらりと見て向き直り、和幸に聞いた。
「兄貴なんですよ。」
「ほう、弟さんのお店にお兄さんが来る、仲が良くていいことだ。」
「そうでもないんですよ。滅多に来ませんから、兄貴は」
男のグラスに酒を注ぎながら、和幸は言った。
夕刻、見た姿とは一変していた。髭はきれいに刈り揃えられ、髪も整えられていた。
カウンターの端に座った川口は、反対端にいる初老の男を見た。
見事に白くなった髭と髪。目尻のシワが余計に際立たせる人なつっこそうな笑顔。
(和幸と親しそうに話しているが、この人も、知っているのだろうか?)
ふと、そんなふうに思った。

「バーボンでしょ?」
カウンターの後ろの棚から、フォアローゼスを出し、
ロックグラス一杯に氷を入れ、静かに注いだ。
川口は、グラスに一口つけてから、タバコに火をつけた。
コンクリートの打ちっ放しの壁と天井。特に天井はわざわざ汚しているように見える。
その天井に向かって細く白煙を吐いた。
和幸は初老の男と話はじめた。
笑顔を交えながら楽しそうに話す和幸を見て、本当に捕まるのだろうか?と思った。

今日、ここに来る前、仕事を切り上げてすぐに、
事務所のある雑居ビルの人気のない非常階段の踊り場から和幸に電話を入れた。
「これから会社を出るから、9時前には着けると思う。
そういえば昨日、なんで携帯に電話しなかったんだ?
あんな話、誰かに聞かれたらどうするんだ?」
「ごめん。携帯、今使ってなくて、家に置きっぱなしなんだ。
だから財布にあった会社の名刺で電話しちゃったんだ。
分かった、9時だね?待ってるよ。
今日しかないから、俺が店に出るのは。店で話を聞いてほしいから」
「わかった。それじゃ」

BGMが、グローバーワシントンjrに変わった。
この曲、和幸がサックスを覚えようしたときに、練習していた曲だった。
カウンターの客と何でもないような顔で相変わらず話をしている和幸。

(今日が。店に出る最後の日か…)

すべてが下ろし立てのような蝶ネクタイ、ワイシャツ、ベスト。
その様相は、今日が最後の仕事と和幸自身が決めた、覚悟の正装のように見えた。

(つづく)
 
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